PMの評価は、たいてい「在任中に何を成したか」で語られます。 納期を守った、火を消した、赤字を止めた。どれも成果です。
けれど私は、もうひとつの評価軸を持つようになりました。 自分が抜けたあと、その現場が回っているかどうか。
そう考えるようになったのは、うまくいった経験からではありません。逆です。
三案件を、同時に持っていた頃
中国人の友人が立ち上げた会社を手伝っていた時期があります。 声をかけてくれたのは、私を信頼してくれてのことでした。だから、応えたかった。
しかし、私以外に、顧客に信頼されながら上手く立ち回る窓口を任せられるPMがいない。 1つ受け、もう2つ受け、気づけば3案件の全てのPMを私が担当していました。 「私がやらなければ止まる」——その一点で、全部を引き受けたのです。
結果として、止まったのは現場ではなく、私のほうでした。
身を削って応えることが、信頼に応えることだと思っていました。 いま振り返れば、それは違います。私が全部やるほど、その会社は自前のPMを持てなくなっていく。 PMが成長しない環境にしていたのです。貢献しているつもりで、私は依存の構造を強くしていたのだと思います。
より組織力を強めようという啓蒙も行っていたため、会社の方針などにも私に依存する構造になっていました。
「自分ならできる」は、引き受ける理由にならない
今の私には、仕事を引き受けるかどうかの基準があります。 自分ができるかどうかで、そこに入っていません。
- 自分にしか出せない価値が、そこで発揮されるか
- 自分が関わることで、周りの流れが良くなるか(依存が生まれないか)
- 自分が、そこから抜けられるか
当時の私に決定的に欠けていたのは、三つ目でした。 「できる」は引き受ける理由になりません。理由になるのは、「私がやるべき筋がある」ときだけです。
刃が切れる人ほど、刃を置けない
ベンチャーで15年、20名を超える部門を預かっていました。 顧客と話せる、仕様も読める、SQLも書ける。詰まったところに自分が入れば、たいてい動く。 最後は自分が拾えば収まる——この成功体験は、強烈です。
強烈だから、抜けられなくなる。
個人の力量で押し切るやり方には、必ず代償がついてきます。 属人化。単一障害点。後任が育たない。そして、自分が抜けた瞬間に崩れる。
私が去ったあとに崩れる現場をつくっていたのなら、それは成果ではなく、延命でした。
炎上案件で一番効いたのは、自分が突っ込むことではなかった
火を噴いた現場に、何度か入りました。 最初のうちは、自分で全部を見て、全部を判断していました。その対応はスピードがあります。しかし、そのやり方だと私の処理能力がプロジェクトの上限になります。
実際に効いたのは、もっと地味なことでした。
- 詰まっている情報の流れを開ける(誰が何を持っていて、なぜ止まっているのか)
- 決める人を決める(曖昧なままの責任配置を直す)
- 課題を、他人が動ける形に書き直す(一覧・期限・担当)
どれも、「私がいなくても進む」ための作業です。 私がやっていたのは判断そのものではなく、判断できる状態をつくることでした。
炎上の本当の原因は、多くの場合スキル不足ではありません。コミュニケーションなどの流れが詰まっているだけです。 詰まりを取れば、現場は自分で動き出します。
刃から、水へ
老子に「上善は水の若し」という言葉があります。 水は器に合わせて形を変え、低いところへ流れ、それでいて岩を削る。
これをPMの実務に翻訳すると、こうなります。
| 刃のPM | 水のPM |
|---|---|
| 自分が決める | 決まる仕組みを置く |
| 自分が知っている | 見れば分かる状態にする |
| 自分がつなぐ | つながる場をつくる |
独立してからの案件は、基本的に常駐です。 常駐は、必ず終わります。終わることが最初から決まっているから、引き継げる形でしか作らない。 私の頭の中にしかない管理は、その時点で失格です。
入って、直して、抜ける。 この「抜ける」まで含めて設計するようになったのは、3案件のPMを同時に抱えて動けなくなった後のことでした。
功遂げて、身を退く
同じく老子に、「功成りて居らず」という言葉があります。 成し遂げても、そこに居座らない。
現場を離れるとき、手柄も一緒に置いていく。 誰がやったのか分からないまま流れだけが続いている——それが、たぶん一番いい状態です。
名前が残ることより、流れが残るほうがいい。 そう思えるようになってから、仕事はずいぶん軽くなりました。
明日から使える、三つの問い
在り方の話で終わらせないために、私が自分に向けている問いを置いておきます。
- この判断は、本当に私でなければできないか
- 私が二週間いなくなったら、どこが最初に止まるか
- 今日の私の仕事は、誰かが動けるようになる仕事だったか
二つ目は、実際にやってみる価値があります。 「最初に止まる場所」は、そのままあなたが抱え込んでいる場所です。
三つ目に「はい」と答えられる日が増えていくなら、その現場は、あなたが抜けたあとも続いていきます。
おわりに
燃え尽きるところまで行った経験は、今では判断の基準に変わりました。 痛みは、視座を広げる燃料になります。絶対に忘れないほうがいい。これを自分自身への強い教訓にすると良いです。
なお、この記事の下敷きには、自作曲「夢のつづき / Dream’s Continuation」があります。 刃を握りしめて燃え尽きた者たちが、渚で「水になる」という別の生き方に出会う話です。 興味があれば、そちらも覗いてみてください。
「夢のつづき / Dream’s Continuation」の紹介
私が好きな神話の英雄:オーディン、クー・フーリン、ベオウルフ。
英雄は、刃のように燃え尽きて力尽きました。
彼らは、生と死のあわい「灰色の渚」で、水を見つめる一人の翁(老子)と出会います。
刃のように燃え尽きる生き方から、水のように流れを作り続ける生き方があった事を知る。
燃え尽きた経験があるからこそ、老子の様な水のような生き方に可能性が感じられると思います。
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