燃え尽きることで、許されると思っていた

仕事

前回、「私が抜けたあと、その現場は回っているか」という記事を書きました。 抱え込むこと、そして去り方の話です。

今回はその続きとして、熱の話を書きます。

PMに情熱は要る、とよく言われます。私もそう思います。 ただ、情熱ほど扱いを間違えやすいものはありません。 そして間違え方には、たちの悪い種類があります。燃え尽きることが、免罪符になってしまうという間違え方です。


第一の火 ── 自分の情熱で育てたチームが、戦場になるまで

ベンチャー時代、小さなチームを預かるところから始めました。 自分の情熱で、一人ずつ、一年ずつ育てていった実感があります。気づけば20名を超える組織になっていました。 あの頃のことは、いまでも悪くない記憶です。

崩れ始めたのは、組織が大きくなってからでした。

規模が大きくなれば、社内政治が始まります。対立する部署ができ、利害がぶつかる。 そして厄介なことに、うちのメンバーも戦うことを望んでいました。育てた熱が、そのまま戦意になっていたのです。

私は、その期待に応えてしまいました。 相手部署のトップと、正面から衝突しました。役員に分かってもらえないもどかしさも、燃料になりました。

結果として、衝突の当事者だった二人(敵対部署トップと私)は、どちらも会社を離れることになりました。

私は最後まで炎でした。そして、燃え尽きました。


一番苦い部分

ここから先が、この記事で一番書きたかったところです。

当時の私は、どこかで燃え尽きることで許されると思っていたのだと思います。

全力でやった。人一倍背負った。それで倒れたのなら仕方がない—— そう思える構図に、自分を置いていた。

いまなら分かります。あれは逃げでした。

本当に必要だったのは、燃えることではありませんでした。 自分の役目はどこまでかを明確に決めて、そこまでをやり切り、役目を引き継いで去ること。 その発想が、当時の私には決定的に足りませんでした。

炎は、自分では周囲を照らしているつもりでいます。 しかし炎になった人間は、しばしば周囲を焼いています。 そして焼き切ったあとに残るのは、灰だけです。


第二の火 ── 成果は残った。火は残らなかった

フリーランスになってからも、同じ癖は残っていました。

新サービスの開発リーダーとして入った案件がありました。 企画だけが宙に浮いて、誰も前に進めない状態が続いていた。 私は提携ベンダーを巻き込んで話を通し、有償PoCまで持って成果をあげました。最終的に、特許に名前を入れてもらうところまで行きました。

実績としては、申し分ありません。いまでも履歴書に書けます。

ただ、正直に書きます。

あれは、自分が中心になって無理やり推進した仕事でした。 誰も進めない中、私は進められた。だからやった。そして、力を示したかった。 そもそも私の役割の範疇を超えていました。

ちょうど、友人の会社を手伝うことになり、私は自分が納得できるところまでやってから契約更新のタイミングで現場を終えました。 引き継ぎは丁寧にやったつもりです。資料も残しました。

それでも——残されたメンバーが、同じことをできるとは思えません。

手順は渡せます。経緯も渡せます。 けれど、利害の違う相手を巻き込んで無理を通す胆力は、資料には書けません。

私が渡したのは、燃えかすでした。火の熾し方ではありませんでした。

老子の考え方に触れたあと、私はこの仕事の評価を自分の中で下げました。 私に依存する形で出した成果は、本当の意味では何も残らないからです。


薪になるか、火守になるか

「焔のあとで」という曲を作ったとき、テーマにしたのはこの対比でした。

薪は、自分が燃えます。明るいし、速いし、成果も出ます。 けれど必ず尽きます。尽きたあとには灰しか残りません。

火守は、燃えません。 火を絶やさないように見て、風を通し、薪を足す。目立ちません。 けれど、火は続きます。

薪のPM火守のPM
自分が燃える現場の火を絶やさない
熱で人を動かす火を移して、自分で燃えられるようにする
燃え尽きて、称えられる燃えずに、忘れられる
残るのは灰残るのは火

老子に「為して恃まず」という言葉があります。やったことに、寄りかからない。 もうひとつ、「和光同塵」——自分の光を和らげて、塵に混じる。

若い頃の私には、まったく理解できなかった言葉です。 光は強いほうがいい、燃えているほうが正しい、と本気で思っていました。


火守の実務

在り方の話で終わらせないために、いま自分がやっていることを書きます。

火を移す。 判断の結論だけを渡さない。なぜそう判断したかまで渡す。結論だけ渡された人は、次の場面で自分では火を熾せません。

火加減を見る。 チームで一番燃えている人を、まず守る。燃えている人ほど薪にされやすく、そして本人はそれを断りません。かつての私がそうでした。

自分の光を落とす。 自分が全部を照らしてしまうと、周りは自分で燃える必要がなくなります。分かっていても、先に言わない。これがいまだに一番難しい。

役目を決めて、渡して、去る。 燃え尽きることは、引き継ぎ計画ではありません。当たり前のようですが、当時の私はここを取り違えていました。


三つの問い

  1. いま燃えているのは、私か、現場か
  2. 私が渡しているのは、結論か、火の熾し方か
  3. その無理は、現場のためか、自分が納得するためか

三つ目は、自分にだけ向ける問いです。

無理そのものが悪いわけではありません。ここぞという場面で踏ん張るのは、PMの仕事のうちです。 問題になるのは、その無理が現場を前に進めるためのものから、自分が納得するためのものへすり替わったときです。

すり替わった無理は、外から見ると献身に見えます。本人にもそう見えます。 けれど満たされているのは自分の気持ちだけで、現場には何も残りません。

かつての私は、まさにそこを取り違えていました。 それに気づくのに、ずいぶん時間をかけました。


おわりに

痛みは、視座を広げる燃料になります。 ただし燃料は、自分を燃やすためではなく、火を継ぐために使うほうがいい。

この記事の下敷きには、自作曲「焔のあとで / After the Flame」があります。 燃え尽きた者たちが灰の平原で火守に出会い、「火そのものになるな、火を継ぐ者になれ」と告げられる話です。

「焔のあとで / After the Flame」の紹介

英雄:アキレウス、ジャンヌ・ダルク、プロメテウス。
名誉のため、神の声のため、人類のため——
“薪”のように、自らを燃やし尽くした英雄たち。
すべてが燃えたあとの「灰の平原」で、彼らは小さな焚き火を守る翁(老子)と出会う。
火そのものになるのではなく、火を継ぐ者になれ。
天を焦がす大火になる必要は無い、掌で守れる小さな灯を絶やさないこと。
炎となって燃え尽きることは、本当は逃げではないだろうか。
英雄達は、燃え尽きたからこそ「為して恃まず、功成りて居らず」「光を和らげ、塵にまみれよ(和光同塵)」の価値に気が付くと思います。

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